次の日、磧口から車で30分ほどの場所にある、李家山村という窰洞住宅群を見に行きました。
李家山村は窰洞住宅群の中でも一番見たかった場所です。

前のお二人は磧口でずっとお世話になったガイド。
といっても宿のオーナーの娘さん?とそのお友達という感じ。
こちらが李家山村の窰洞住宅群。



もともと階段状になっている丘に穴を掘って住居にしています。
建物が自然と一体化していて、遺跡群のようにも見えます。
日本軍はこの李家山村には訪れなかったため、古い建物が当時のまま残っているのだそうです。
李家山村でもお宅拝見。

老夫婦のお宅。何かを焚いていたらしく部屋は煙が充満していました。

壁に夫婦の写真が貼られていますね。
こちらは李家山村にある宿。

石臼のようなものは村の至るところにあり、磧口の名物料理(石磨面?)を作る際に使うらしいです。
2011年1月中国旅行 -6- 磧口
部屋に荷物を置いてすぐに磧口の村の観光をしようと思いましたが
どこをどう見れば良いか分からなかったので、宿の人に案内してもらうことにしました。
宿を出てすぐ脇にトンネルのような道があり、そこから村内を周ります。

住宅は入り組んだ作りになっています。

そして、いたることろに窰洞住宅があります。

窰洞のお宅拝見。


人形(布老虎)をいろいろ作っているらしく買っていかないか、と。
これもきっとこういう観光コースなのでしょう。
そして、磧口の町並み。

HSK4級のつたないヒアリングで聞いた観光ガイドによると、磧口は昔、貿易で栄えた町だったそうです。
こちらは当時の物資の流れの図。

しかしながら戦時中日本軍が攻めてきて、町を破壊し、人々をたくさん殺したそうです。
うむ、、そういう場所だったのですね。。
こちらは丘の上にある黒龍廟というお寺。

このお寺の周りで、ちょうど中国のテレビでよく放送されている抗日戦争ドラマの撮影をしていました。
何とも偶然。さすがにあまり間近では撮影できません。。

何となく体調が優れなく、ペットボトルの水を買いたい、と伝えると
冬場は観光客が少ないため、ペットボトル飲料の供給もないのだそう。。
井戸から汲んだ水を煮沸して飲んでいるとのこと。井戸はこんな感じです。

井戸も凍ってしまっていて、あまり水が汲めない状態らしいです。
その夜、寝ようとするととてつもなく寒い。。
部屋には暖气が付いているものの、この寒さには焼け石に水。
布団をたくさん借りたものの、空気が冷たすぎて肺も冷える感じでした。
そして次の日の朝、風邪を引いてしまっていました。
2011年1月中国旅行 -5- 平遥~離石~磧口
平遥の後は、黄土高原に点在する窰洞(ヤオトン)式住宅群を見に行くために
「磧口(チーコウ)」という場所を目指します。
磧口へは、列車が通っていないためバスで移動します。
まず平遥から離石へ、離石から磧口へとバスを乗り継ぎます。
平遥→離石行きのバスは7時半のみ。だいたい2時間くらいで到着したと思います。
離石の町はこんな感じ。

中国ってこんな無名な都市でもそこそこ栄えていて、
なおかつ、人がたくさんいて活気があるのがすごいですよね。
離石→磧口へは、バスターミナルの電光掲示板を見ると1時間おきに発車しているようでしたが、
窓口に行くと、人が集まらないと発車しないとのこと。

仕方なくバスターミナルで待ちます。。。
30分おきぐらいに窓口に聞きにいきますが、人が集まらない。
そうこうしているうちに14時を回ってしまいました。
バスをあきらめ、タクシーに片っ端から磧口へ行ってくれないかと交渉しますが、
ほとんどの運転手が面倒がって嫌がります。。
ウンザリしてきたので、現実逃避のためにケンタッキーでお食事タイム。
「千丝万缕虾」という海老のまわりに紐状の皮を巻いて揚げたものがありました。

これが結構美味しかったです。日本でも流行るのでは。しばしケンタッキーでマッタリ。
、、さて、再びタクシー交渉です。何とか磧口行きタクシーをゲットできました。
タクシーで約2時間、磧口着です。

磧口自体は小さな村です。タクシーを降りると衝撃的な寒さ。
目の前には黄河が流れていますが、流氷?流雪?みたいなことになっていました。

タクシーの運転手に教えてもらった磧口で有名だという碛口客桟という宿へ。
シャワーなしですが、四合院造りでなおかつ窰洞式の部屋でした。

平遥で泊まったところと違い、本物の窰洞式の部屋です。感無量ですね。

ここで2泊します。
宿の人に聞くと、冬は寒すぎて観光客がほとんど来ないそうです。
どうりで離石からバスが出ない訳です。。
碛口客桟の住所や電話番号等は分かりませんでした。
碛口客桟へ泊まりたい場合は案内板が村の至るところにあるので
これを頼りに進むと辿り着きます。
